• Reading time:4 mins read

映画『AWAKE』を観に行ったのは吉沢亮を摂取するためではありません。いや、それもあります。

映画のレビューのような深い記事を書く自信はないのですが、それでも言いたいことがある。

今、何かで自信をなくしている人、失敗して年明けに会社や学校に行くのが憂鬱な人。

1,800円を握りしめて映画館に行って『AWAKE』を観て欲しい!

感動の◯◯とか、ラスト3分に◯◯とか、そういう作品ではないんです。人によっては「え、これで終わり?」かもしれない。でも、これがこの作品をこの作品足らしめている要因であって、それが答えだと思っています。

以降ネタバレ満載ですが解説は一切しません。映画を観ていない方にとっては「ナンノコッチャ」ですので、ぜひ映画をご覧になってください。

天才将棋少年2人に見えた違い

奨励会に足を踏み入れた英一と陸。2人とも幼い頃から「将棋の神童」的扱いを受けていたんだと思います。

ただ、同じ神童なのにこの2人には決定的な違いがある印象でした。

軸が違う

陸が奨励会に求めていたのは、強い人と戦うこと。今までは弱い人の中で「神童」だったわけです。でも陸は強い人の中で、より強くなりたい。つまり「自分」が強くなることに軸を置いていたんじゃないかなと思います。

対して英一。陸と同じように弱い人の中で「神童」だったんですよね。だけど彼の場合、奨励会に入ってからの軸が「自分」ではなかったように感じました。強くなりたいんじゃなくて「負けたくない」。もっというと、相手に勝たせたくない

軸が常に「敵・相手」にある気がしてなりませんでした。

対局中の視線の動きから読み取る視野の狭さ

まだ小学生くらいの少年が向かい合って正座して対局するわけですが、びっくりするほど皆落ち着いています。でも英一は終始落ち着きなく体を揺らしていました。はたから見れば落ち着きがない。だけど彼なりの落ち着きの方法なんでしょうね。それを証拠に、成長してもなお体を揺すっていました。

対局中の映像で気になったのが「視線」。英一は対面に座っている陸をチラチラ見ているわけですよ。相手の一瞬の動揺を見逃さないように、でしょうか。一方の陸は常に将棋盤から目を離さない。将棋の対局においては陸の姿勢が普通なのかなと思います。だから英一の視線がすごく気になりました。

特に青年になってからの対局ですね。英一の視線の動きを見ていて「こりゃ負けるだろう」と思ってしまいました。なんというか、戦うべき相手が違うような気がして。

英一は将棋盤の上で戦っていない。玉を守るために戦っているんじゃなくて、陸っていう青年を負かすために場外戦を繰り広げているように見えたんです。それくらい勝ちたかった、っていう見方がひとつ。

その程度だった、っていう見方もできる。将棋の世界にはまだ見ぬ強豪がいるのに「陸」しか見えない視野の狭さは、英一にとって致命的だったなと思います。

狭い視野に入り込む「他のもの」

奨励会から帰るのは夜遅く。暗い道でも常に将棋の本を片手に、もう片手には懐中電灯。既視感の正体は二宮金次郎だった!

寝ても覚めても将棋で、劇中にあった通り「将棋以外なにもしてこなかった」んですよ。

だけど奨励会の同年代の少年たちが楽しそうに帰っていく姿を見てしまったり、二次会に向かう若者のウェイウェイ感を見てしまったり。

これは考察というか想像でしかないけれど、負け知らずの神童だった頃は同級生がどんなに楽しそうだろうと目に入らなかったし、気にも留めなかったんでしょう。だけど奨励会に入って、負けることを知りました。

負けるたびに「他のもの」が見えるようになったんじゃないかなと思っています。見えるというか、気に留めてしまう。負ければプロ棋士から遠ざかるわけで、プロになれなければ別の道を考えざるを得ない。

英一は視野が狭いから、「他のもの」がほんの少し視界に入っただけですごく大きく見えたのではないでしょうか。

陸はおそらく視野が広くて「負けてしまったらこうなるんだ」という現実をしっかり見据えていたから、負けることに対する恐れや焦りが英一ほど大きくなかったのではないかと思うんです。

このあたり、私の中では2人の違いとして印象に残っています。そして「他のもの」が見えたで終わらせず、意識的に「見た」からこそ、英一の成功があるんだとも思います。

独創性を求める本心

英一が将棋を辞めることを決意した一局。彼の一手目は王将から始まったと記憶しています。陸も対局を見ていた指導官たちも「?!」って感じのリアクションでした。

将棋しかやってこなかったから、人付き合いはできないし溶け込めない。でも人に興味がないわけじゃない。人一倍「人」に興味があったからこそ陸を物凄く意識したし、人が驚く独創的な手を求めたのではないかと。

英一がもし「両親に愛されずに育ったから人に馴染めない」みたいな設定だったら興ざめなんですが、この映画ではめちゃくちゃ暖かい父親がいます。警察署から帰るあのシーン、泣きましたもん。

だからね、この映画の、カメラが映しているのは本当に将棋だけなんですよ。将棋しかやってこなかったから人に馴染めない。だからこそ人に影響を与えたい。将棋にしかスポットをあてないストーリー構成が本当に素晴らしいなと感じます。

伝説の電王戦

AWAKE vs 陸、つまりAI vs 人間の対局がこの映画のメインイベントです。そのイベントの直前、英一はAWAKEのプログラムに大きな穴を見つけたものの、それを修復するのはルール違反。

とはいえ、その「穴」を突く指し方は将棋界ではナンセンスで、プロ棋士の陸はそんな手を使ってこないだろう、というのが周囲の見方でした。

英一も口ではそう言ったけれど、穴がある状態で対局に臨むこと自体に納得できなかったんじゃないかと思います。陸が穴を突いてくる可能性云々ではなく、弱い部分を認識していながら何もできない状況に納得できない。

奨励会の行き帰りに本を読んで自分の弱さを補強し続けた英一にとって、我慢ならない状況だったんだろうなと思います。だけどルールはルール。受け入れました。

陸はなぜ2八角を打ったのか

AWAKEをインストールしたPCを使って何度も模擬戦をして、全然勝てなくて頭を抱えていた陸。結果的には本番でAWAKEに勝利しました。

AWAKEの穴であり、素人が見つけた穴。そこを突いての勝利です。

だって仕方ないよね。勝負だから。勝つために相手の弱点を突くのは当たり前のことです。

だって仕方ないよね。それしか勝つ方法が見つからなかったから。将棋界を代表してAIと戦う陸にとって、負けられない対局だったんです。プロの陸が「これ以外で勝てない」と思うほど、AWAKEは強かったってことです。

陸は勝ちたかったから2八角を打った。AIならではの穴を知って、そこを突くという作戦は人間が立てたものです。人間の頭脳が勝利を呼び寄せたっていう考え方はひとつだと思います。

独創的な将棋

独創的かつ強いコンピュータ将棋のプログラムを作るために、寝る間も惜しんで開発を続けました。確かに独創的で強いプログラムができあがって、評価も高かった。

じゃあこの映画で最も独創的だったのは誰?

誰も予想しないような手を使うことが「独創的」ならば、この映画で最も独創的だったのは陸ですね。

電王戦の敗因

英一はすごく悔しかったと思うけれど、取り乱すほどじゃなかった。敗因が「将棋」だったら半狂乱になっていたかもしれません。
敗因は、相手の独創性がAIの独創性を上回ったから。

沢山の手のパターンを学習させることでAWAKEが強くなるのは当然です。でも独創性って学習で取得できるのかな、どうだろう。

「パターン」という言葉が出てくる時点で独創性から離れてしまうし、AIが独創性を獲得するのはまだまだ先になるんじゃないかなと思います。あるいは独創的な手を「パターン」として学習させるしかないですよね。

英一は2八角という穴、プロなら突かない穴を認識し、負けを覚悟していたのでしょう。それは将棋での負けではなく、意外性や独創性が出せる人間の勝ち、というだけなんです。だから静々と受け入れられたのだろうなって思います。

まだ手があるかもしれない

仕事でも勉強でも人間関係でも、何だかうまくいかないなあと思っている人にオススメのAWAKE。

この映画を観れば全てがうまくいくってことではありません。ただ、土俵を変えるっていう選択肢はあるよねって気付けます。

もしくは「負けました」を言わない選択肢もある。

次の一手が見つからない。どの手を打っても玉が取られてしまう場面で「投了」します。つまり「負けました」と降参するんです。これを言わずにいた幼い英一は指導者から注意されたことがありました。負けを認めることは強さに繋がります。

が、人生ではそう簡単に投了しなくていいと思います。

だって、将棋と違うので。将棋は駒によって動ける方向や範囲が決まっています。でも人生はそうじゃないので。

次の一手をとんでもない「独創的」な場所に打ったっていいんじゃないかと思います。そういう選択肢もあるんだなと、この映画の真四角なマスを見ていて感じました。

人間はプログラムじゃないから、線の上を歩いていったっていいし、逆向きに歩いたっていい。必ずしも成功が全てではないし、失敗したら人生即終了じゃない。

吉沢亮ならぬ「吉沢量」の確保のために映画館に行ったはずが、とんでもなく色々な感想を抱えて帰ってくるハメになりました。

映画『AWAKE』公式サイト

映画『AWAKE』公式サイト

12月25日(金)、全国ロードショー!

S.Nakayama

一帖半執筆工房代表。 デジタルマーケ企業のフリーランスPMとして計9サイトのコンテンツ制作を並行指揮した経験を持つ。 現在は企業の人材育成コンサルやメディア進行管理をしながら、グラフィックデザイン・文章校閲・校正者・ライターとしても活動中。 DigitalCameraWorld認定フォトグラファー、臨床検査技師。